February 25, 2006

○ンチを超えてヒトは進化する? (5)

  − 進歩が目指すのは何なのか? −

というわけで,ここまでの想像を積み重ねると,「遺伝子を束ねるような何かの意志が,有機物や自然から離れる方向にヒトを導いてきた」 ことになります.
では,なぜそんな方向を目指すのかということですが,これはわりと簡単に推理できます.

つまり,遺伝子の 「時を超えて存在し続ける」 という目的からすると,有機体の細胞を乗り物とする今のやり方は必ずしも最適なものではなく,むしろとても弱いものだからです.
ちょっと太陽がくしゃみをしただけで,ちょっと地球が身震いしただけで,ちょっと流星とぶつかっただけで,ちょっと空気の組成が変わっただけで,生物は壊滅的な打撃を受けてしまいます.
代謝と自己複製を実現するためには柔軟な組織体が必要だったわけですが,環境が激変する場合はそれがそのまま弱点になるわけです.

これに対抗する手段が種の多様性と環境への適応能力だったわけですが,それだけでは心許ない,その他にも手を打っとこうとどこかの意志が企んだとしても不思議ではありません.
それが,ヒトに自然から離れようとする本能を与え (あるいは,そういう本能を持ったヒトという種を創り),その制約から逃れる手段を模索しているのではないでしょうか.たとえ地球レベルで環境が激変して,乗り物である有機体が死滅しても "生命の記憶" は生き延びられるように・・・

生き延びた先に何があるのかは想像もできません(そう言えばこのテーマ,若い頃読み倒した小松左京さんのSFに何度も出てきたなぁ).
ただ,そういう大目的を前にすれば,乗り物であるヒトの身体が多少悲鳴を上げるくらいは取るに足らないことだろうなと,変に納得してしまいます.

最後にもう一つだけ.
最近気になってることがあって,それは私たち現代人が,何かに追いかけられるような切迫した気持ちをかなり共通的に持っているということです.
価値観は多様化しているはずなのに,"スピードと効率" はますます持てはやされ,その結果, "進歩=自然離れ" が加速しているように見えます.
もしかしたらそれは,何らかの手段で先が長くないことを予見した意志が,人間に対して追い込みのムチを入れているのではないでしょうか.
あるいは,人間に仕込んでおいた自滅のプログラムを作動させ,滅亡と生き延びるための技術開発のどちらが早いかという,一種の賭けに出たのかもしれません.
焦りにも似た感覚は,実は遺伝子の焦りそのものだったりして...

あ,そういえば,キレイ・キタナイ感覚以外にも,異種生物を共生ではなくペットとして一方的に可愛がろうとするというのも人間だけの習性ですね.
もしかしたらこれは,そこから離れることを宿命付けられた人間が,"自然" に対する惜別の情をペットに投影していると考えられないでしょうか?

なぜなら・・・・,もういいか(笑)

おわり

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