とあるWebサイトの雑文コーナーに 「仕事はメタ言語である」 という一文を見つけて,ちょっととゆーかかなり感心したので,独創的改訂を加えつつ潔く文責を担おうと思う(盗作とも言う).
人はなぜ仕事するのか?
パッと思いつく理由は,
1) お金を稼ぐため
2) 生きがいややりがいを求めて
3) 憲法で決められた義務だから
あたりか.
どれも当然だし,それぞれ当たってもいるでょう.
しかしこの世の中,常識的で当たり前と思われることの裏には,えてして意識に上らない隠れた意図があるというのは,私たちが経験的によく知っていることです(←お,この言い回し便利.説明抜きで納得できる気がする).
その意図とは?というのが,このよた話です.
その前に 1)~3) をもう少し掘り下げてみる.
1) のお金というのは理由として明白だし,今の社会システムが労働と報酬という形で成り立っている以上,生活の糧を得るために人は働かざるを得ません.
ただ,ここで考えたいのは,じゃあなぜ今の社会がこういうシステムになったかということです.
時に厳しくもあり,辛くもある仕事に,どうして万人が携わるようなシステムになったのか?
もし仕事の目的が必要な生活リソースを確保することだけなら,例えばまったく仕事をしない階級が含まれるような別の社会形態になってもよかったのではないでしょうか?あ
るいはもうちょっと現実的に, 「必要なお金を稼いだらササッと引退します」 という人がもう少したくさんいても良さそうなもの.
ところが現実はそのようではありません.
これから先,どんなに物質的な生産性が上がったとしても,仕事そのものが無くなる心配は無さそうです.
ここは一つ,そこに人間の根源的な欲求に関わる何かがあって,むしろ人は,誰もが仕事に携わることができるように社会を作ってきたと考えた方が座りが良さそうです.
((3)の憲法説も同じような理由で分が悪い.労働を義務づけた憲法は,初めにそれがありきと言うよりは,人々の標準的な営みを追認したものと考えるべきでしょう)
じゃあというわけで,(2)の仕事が "生きがい" や "やりがい" 説はどうでしょう.
この理由はよく耳にするし,もっともらしくもあるのですが (最近はちょっとひねった "自分探し" という言い方もある),ちょっと考えてみるとこれも怪しい.
だってさ~あ・・・
毎日毎日,PowerPointを激しくいじくって,データの切り貼りに明け暮れるのが果たして生きがいと言えるでしょうか?
いつどこにいようとお構いなしに押し寄せてくるメールに,帰宅後もビクビクするような仕事にやりがいなんてある?
会議で10分しゃべるだけのために,計画していた旅行を断念して往復7時間もかけて出張する意味があるのかよっ,おい!
これは多分断言できると思うのですが, 「これが私の理想の仕事」 と腹の底から納得してる人なんて,ほとんどいないのではないでしょうか?
世の仕事の99%は(少なくとも必要な作業のほとんどは),辛かったり,しんどかったり,汚かったり,カッコ悪かったり,バカげてたり,退屈だったりする.
誰もがベッドで独創的なアイデアを思いつき,窓の大きなオフィスで企画書にまとめ,ランチで同僚にジョークを飛ばしてから,午後にクライアントを唸らすプレゼンをして,夜にはジムで心地よい汗を流すわけではないのだ.
(それはそれで苦労多そうだけど)
ね,やりがいや生きがいってのも,首を傾げたくなるじゃないですか.
つづく
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