May 3, 2010

空間脳と関係脳(7) -一万年のすれ違い-

これまでファームを訪れてくれた何頭もの犬を見てきて,ちょっと意外に思ったことがある.それは,彼らが皆,思いの他まったりしているということである.
車から開放された当座こそ,張り切って辺りを駆け回りもするが,人間同士が長く話し込んだりすると,いつのまにかあっちこっちで寛いで,ふと気がつけば船を漕いでたりする.

遊び場所がある上に,家畜たちの匂いが一杯なので,特に初めての犬はさぞ興奮するだろうと覚悟していたが,その予想は外れた.もちろん中には落ち着けない犬もいるが,そんな時は大抵,飼い主さんの方が興奮しているのである.

もしかしたら,生き物の匂いって案外落ち着けるのかもしれない.毎日接している排気ガスや芳香剤の匂いは,たぶん,彼らにとって「正体のわからない」匂いだ.未知の物に取り囲まれると落ち着けないのは人も犬も同じだろう.先祖が穴蔵で暮らしてきた犬には,なおさらのことかもしれない.

私たちが最初に飼ったコリーは,ある日突然,ショーウィンドウや門構えの立派な家の前を歩けなくなったことがある.リードで促しても,座り込んだまま頑として動かない.その妙な行動は半年ほどで自然に消えたが,散歩が不自由で苦労した記憶がある.理由はわからないが,たぶん,彼女は私たちには見えない何かを「見て」いたのだろう.

犬と暮らし始めて1万数千年.
いつも一緒のようでいて,私たちはまるで違う世界を生きてきたのかもしれない.


おわり
 
 

April 24, 2010

空間脳と関係脳(6) -犬との関わり-

要するにこの雑文で何が言いたかったかというと,私たちが犬と接するとき,その意識が過剰に関係性に向かっていないだろうか,ということである.もちろん,犬も優れたコミュニケーション能力を持っているが,少なくとも人間よりは,場所や状況に多く依存しているはずである.

よく,「うちの犬,家ではよく言うことを聞くのに外では全然!」といった愚痴を聞くが,状況依存的な犬の行動原理を思えば,ムカッ腹くらいは抑えられる.
そもそも,犬が言うことを聞かないと,私たちは「裏切られた」とか「犬が逆らった」と感じるけれど,その感じ方こそが,関係脳が得意とする「擬人化」や「共感」が機能した結果なのである.

大抵の場合,犬は人間の指示に逆らおうと意図したのではなく,置かれた状況にしたがって行動しただけである.人間の指示は,その「状況」の一つに過ぎない.人は,「あのね」と話しかけられた相手にほぼ100%の注意を向けるが,他の動物に同じことを期待するのは筋違いというものである.

Barbaraさんは,犬におもちゃを与え「これは齧って良いけど,家具はだめ」と教えることを,「フェアではない」という表現で戒める.確かに,物を分別してそれと行動を結びつけるのは,関係脳の人間には朝飯前だが,犬には難しいかもしれない.
この場合,ざっくりと「居間は人間のスペースであって,そこにあるものも人間のものである」ことを示す方が簡単だし,理にかなってもいる.その代わり,犬の居場所は別にきちんと確保して,そこにあるものは自由にして良い,ということを保証してやる必要はあるけれど.


つづく
 

空間脳と関係脳(5) -生存戦略-

空間をきめ細かくスキャンニングすることは,生存戦略として非常に有効である.敵の気配をいち早く察知してリスクを回避できるし,食物や水を逃す機会も減る.そもそも,空間や時間を区切って「住み分ける」ことは,種の多様性を確保するための大自然のルールである.
(山だろうが谷だろうが,極寒だろうが熱帯雨林だろうが,昼だろうが夜だろうが,あたり憚らず元気なのは人間と微生物くらいだ)

では,なぜ人間ではその能力が衰えたのか.
言い換えれば,精緻な空間認知に代わる生存戦略上の武器は何なのか?
それは,「関係性」の知覚だと思う.

人と人,人と動物,人と物,物と物,,,人間はおよそさまざまな事象の関係性を知覚することに長けている.風の加減で桶屋の売上げを予想したり,路傍の石に自分の人生を重ねるなんて離れ技は,とても他の動物にはできない.その能力があったからこそ,道具を発明し,ロジックを構築し,複雑な社会を形成することができたのだろう.高度なコミュニケーションも,相手との関係性を推し量る能力抜きには考えられない.

複数のセンサ情報を統合的に処理し,複雑な空間マップを生成するためには,多くの情報処理リソースが必要である.おそらく人間は,その一部を犠牲にすることで,関係性に対する優れた認知機能を獲得したのだ.
あえて対比させて名づけるなら,犬と人の脳はそれぞれ,「空間脳」「関係脳」と言えるかもしれない.

(↑ほらね,人間ってどうしても「関係」の話にしちゃうでしょ?)
 
 
つづく
 

空間脳と関係脳(4) -嗅覚力-

なぜ,犬と人の感覚がこうも違うのか?
理由の一つとして,嗅覚性能の違いがあると思う.

人間の空間認知は,(少なくとも晴眼者は)ほぼ100%を視覚に頼っている.視覚というのは,空間のセンサだと思われがちだが実は違う.私たちが知覚しているのはあくまで物(のイメージ)であって,空間ではない.
センシング・システムの代表的な機能は,センサが感知したものを「ある」と判定することだが,裏を返せば,感知しないときに「無い」と判断することでもある.
視覚命の人間は,空間を「物と物の隙間」としてしか認識していないのである.
実際には,そこには空気が充満してるし,心理的なものも含めて,目に見えない様々な力学が作用している.

嗅覚の発達した(=視覚への依存度が低い)犬は,人間より仔細に周囲空間を知覚・認識している可能性が高い.人間がスルーする空間にも匂いは漂っていて,犬はそれを手がかりに有意な情報を得ている.人は物理的な「仕切り」が無いと空間を分別できないが,犬はもっと複雑な空間マップを頭の中に作り上げているかもしれない.

いや,犬だけじゃなく,馬も羊も鳥もそうだ.
彼らの行動を見ているとそんな気がする.
放牧地にまだ一杯草が残ってるのに,わざわざ苦労してフェンスを乗り越えていくヤギの行動はホトホト理解に苦しむが,彼らにしてみたら,何の必然性も無いところにある仕切りこそ,無意味で乱暴で許せない行為なのかもしれない.

鳥というやつは,積んだ野菜を散らかしたり,盛り上げた畦を崩したり,とにかく世界の秩序を破壊することに熱心だが,彼らの通り道や砂浴び場は,ちゃんと決まった場所だったりする.鴨の群なんか,通り道で見知らぬ物に出会うと途端にガーガーとパニクっている.見ている分には微笑ましいが,忙しい時には迷惑な習性である.
蝶も,一見何の手がかりも無い空中に,彼らにしか見えない通り道を設けることで知られている.ジャングルの中で無数の蝶が行きかう蝶道に出会うと,その見事さに魂を奪われるんだそうである.


つづく
 

空間脳と関係脳(3) -見えずとも-

んじゃあ気をとり直して他の例,というわけで,昔どこかで読んだ話を紹介する.
ファームで働く,ある年老いたシープドッグのエピソード.

その犬は,放牧場に散らばった羊たちを,小屋まで連れてくることを日課にしていた.
ところがある日,敷地に置かれたバケツに頭から突っ込んでしまう.それを見ていた農夫は,「最近,仕事が遅いと思ってたら,ここまで耄碌してたか.もうお払い箱だな」と毒づく.

しかしその数日後,農夫はたまたま訪れた獣医から,次のように告げられる.
「この犬は目が見えてないよ」
「数ヶ月前には完全に視力を失ってたはずだ」
「日ごろの様子を見てて,気がつかなかったのか?」
犬は,牧場の地形を完全に記憶し,何箇所かの手がかりと羊の匂いだけで,仕事をこなしていたのだ.次第に弱まる視力を自覚し,自分でやり方を工夫していったのだろう.
農夫は悄然として犬に謝る,というところで話は終わる.

確か実話として紹介されていたと思う.
後天的に視力を失っても,それを悟られずに仕事をこなす犬の能力に驚かされる(そういえば,全盲のゴールデンが「ボールのレトリーブ」で遊ぶのを,目の当たりにしたことがある).

いや,もしかしたら,良くできた作り話なのかもしれない.それでも,この話が「そういうことってありそーだよね」と語り継がれてきたとすれば,少なくとも農夫たちの間では,犬の空間認知能力が認められてきた,ということだ.

(ん~,これも良い例じゃなかったですね)
 
 
つづく
 

空間脳と関係脳(2) -ばらんす-

敷地は1/100ほどしかないが,私たちも個性豊かなコリーたちと暮らすようになった.ゲストと一緒に訪れてくれる犬たちも多い.
位置関係にデリケートだというのは,彼らの日常(裏庭でトイレするときとか,犬同士の遊びとか,オフ会であちこちに繋がれてるときとか)を見てて思うことである.人間よりもずっと多くのことを,彼らは空間から感じ取っているようだ.
意外に思えたBarbaraのこだわりも,今ではなるほどと思える.

羊追い作業は,羊と人に対する犬の(位置的な)バランス感覚を利用したものだ.だからそのトレーニングは,まずその犬固有の意欲とバランスを見極めることから始まる.その動きに言葉を重ねてコマンドとし,さらに仕事に合うように動きを調整していくのが,たぶん一番素直な手順である.

ところが私たちは往々にして,最初から「言葉(や笛)を使う」ことに躍起になってしまう.人-羊-犬の位置関係よりも,人-犬の関係に,もっと言えば「犬を操る」ことに意識が集中してしまうのだ.
もちろん,そういうやり方でも羊くらい追えるし,むしろ形にするにはその方が手っ取り早いかもしれない.しかしそれだと,犬は自分で考えなくなるし,少なくとも本来の順序ではない,,,って,そんなこと言いたかったんじゃなくて,ここでは,人と犬では空間の感受性が違うのではないか,ということを示したかったのだ.
あまり,良い例じゃなかったけど...


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

つづく
 

空間脳と関係脳(1) -意外な悩み-

たぶん犬という動物は,ポジショニングとか姿勢とか,そういう空間的な感覚がとてもデリケートにできている.いや,人間の感覚が鈍いと言った方が正確かもしれない.どちらにせよ,その辺のズレが微妙なすれ違いを生んでいる気がする.
...そんなことを思いついたので,忘れないうちにメモしておく.

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Barbara Sykesさんのファームには,現役の羊追い犬はもちろんのこと,役者犬やコンパニオン犬,レスキューされた子や隠居犬まで,常時20頭前後のボーダーコリーが暮らしている.
若犬から老犬まで,それぞれが皆,何らかの役割りを持っている.
本当に個性はさまざまだが,「使えない犬はいない」と彼女は力説する.

それだけの犬がいると,しつけや訓練がさぞ大変やろうと思いきや,実際はそうでもない.
少数の犬を連れて散策にでかけることもあるが,犬と「向き合って」何かを教え込んでいる場面を見たことが無い.農場管理,家畜たちの世話,センターの運営,コンサル,雑誌の編集,執筆,訓練士など,多くの仕事を一人で背負っている彼女には,その時間と余裕が無い,というのが正直なところかもしれない.
それでも,犬たちは従順だし,何より活き活きと暮らしている.

Hiroが「ヨークシャー滞在記」に書いたが,そんな彼女も,犬小屋の配置や向き,家畜たちの動線などについては,意外なほど気を遣う.昼食を立ったまま済ませるほど慌しい生活なのに,あーでもないこーでもないと思い悩むんだそうである.いくら広いといっても,犬,人,家畜が一緒に暮らす敷地.無用な摩擦を避け,お互いの生活に干渉することがないよう,いつも心を砕いているのだ.
(ただオスたちは,お気に入りの1頭を除き,"Boys"と一括りにされて冷遇されているように感じるのは,同性意識から来る僻みだろうか)

基本的なしつけやトレーニングをおろそかに考えてるわけではない.ただ,何かを「教え込」んだり「禁止し」たりするよりも,まず「状況を整える」ことを優先しているのだ.


つづく