例えばここに 「ボーダーコリーは○○である」 と書いたとします.
○○に入るのは 「羊を追う」 でも 「ハイパー」 でも 「シャイ」 でも 「賢い」 でも 「ずるい」 でも 「面倒臭い」 でも,まぁ何でもいいんですが,とにかくそんな文句があるとして,これが一般に流通するようになるとどんどんそれっぽくなって,いつのまにかボーダーコリーの情報として定着します.
コトバとして発信された途端,そのときの状況やら雰囲気やら,何よりそれを言った人の 「思い」 までもが,ごっそり抜け落ちてしまうのに,,,です.
ボーダーコリーというか犬と暮らす上で情報は確かに貴重です.それらを知ろうとしないとうのは飼い主としての怠慢とさえ言えるでしょう.でもその一方で,それを知ってたからといっても実際には屁の突っ張りにもならない,ってのは言い過ぎだとしても,あんまりそれに自信持ってもなぁ〜,とも思うわけです.
犬は一頭一頭違いますし,また自分も犬も状況も,刻一刻と変わっていくんですから.
結局,色んな知識や他人のアドバイスがあったとしても,犬を目の前にしたときはそれらを一旦忘れて,自分で見て触って感じる(これに "観る" という漢字を当てはめてみました)くらいの気持ちが大事なんじゃないでしょうか. 「自分の犬に対しては自分が専門家」 というのは,きっとそういうことなんだと思います.
生き物どうしの出会いは一期一会.その瞬間瞬間にこそ意味があるのであって,だからこそ何物にも代え難い価値があるのでしょう.
−−
要するにこのヨタ話は,「コトバや知識に振り回されず,自分の犬を観る時間と気持ちを大事にしたいと思ったんだよぉ...」 って言いたかったわけです.付け加えれば,犬と何かをしようと入れ込んでいるときは,案外それが見えにくいのでは? と感じていることも.
たったそれだけのことを言うのに,何だこの回りくどい文章わ,,,と思った人は正しいです.
そう,それこそがまさにコトバの限界を証明しているのです.
決して決して私の説明が下手だと勘違いしないように. (キッパリ)
February 25, 2006
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