February 25, 2006

擬人化考

 犬を擬人化してはいけない・・・しつけ本の類にもよく書いてあって,あぁそうだろうなと思ってました.

 確かに,お飾りの洋服を着せたり,人間の食事を与えたり,毎日シャンプーしたり,あるいは犬には理由がわかりっこないのに怒りをぶつけるといった行為は,何だかんだと問題がありそうです(まぁ目を吊り上げるほど罪深いとも思えませんが).こういうのを擬人化というなら,確かに 「いけないこと」 の部類に入るのかもしれません.

 でも,ありとあらゆる擬人化が悪いとも思えないのです.上のようなのを 「悪い擬人化」 と呼ぶとしたら, 「良い擬人化」 ってのもあるんじゃないか?ということを最近感じています.その一番良い例がコミュニケーションです.

 言葉が通じる通じないに関係なく,コミュニケーションの基本って,自分の出したメッセージを相手がどう感じたり解釈したりするかを想像することだと思うんです.もちろんその逆に,相手のメッセージにどういう意図があるのかを想像するってこともあるでしょう.そうしてわけがわからないなりにメッセージをやりとりしながら,相手の反応を見て,共有できる部分を少しずつ増やしていくことが,やがて相手を理解することにつながるんだと思います.

 要するに,コミュニケーションには相手の気持ちを推し量るということが欠かせないわけですが,これって何を手がかりにどうすればいいんでしょうか? 読心術みたいな超能力があれば別ですが,まぁ基本は自分の思考や感情を相手に投影する,つまり相手の立場に自分を置き換えてみるってことだと思います. 「自分がこういう風に言われたらどう感じる?」 とか 「自分がこういうことを言うとしたら,何を考えてるときだろうか?」 みたいなシミュレーションですね.これを 「共感」 ということばに置換えても良いと思うんですが,言ってみれば相手に共感することがコミュニケーションの基本だと思うわけです.そして,相手が違う生物種の場合,これって立派な 「擬人化」 なんじゃねーのか? というのが私の考えです.

 ただ,ここでさじ加減が難しいのですが,何でもかんでも自分に置換えて考えるのも,きっと × なんですよね.人間どうしでもそうですが,相手の背景や事情を考えずに自分の感情や考えを押しつけてしまうと,これは単なるジコチューやワガママや勘違い野郎になってしまいます.ここはやはり相手が犬という独立した生き物であることを肝に銘じ,犬としての考え方や習性を尊重することが大事なんだと思います.
 ただ,そうやってお互いの違いを認識した上でやっぱりどこかで共感が必要なわけで...あー,もう,ややこしいのでやめますが,結局,コミュニケーションには犬の理解と良い擬人化の両方が必要なんではないかということです(どちらに重きを置くかは,人それぞれでしょうが).

 「犬の顔色を伺うなんざぁニンゲン様の沽券にかかわる!」 という考え方だってあるでしょうし,それが 「悪い」 なんて誰にも言えないはずです.ただ,せっかく何かの縁で犬という生き物と暮らしてるんだから,少しでも相手とわかりあえた方が得だとも思います.

 「擬人化はダメ」 というセリフが決り文句になって,犬の心や感情をしん酌しないことが信念になってしまっては,本末転倒とまでは言えなくても,ちょっと行き過ぎではないでしょうか.
 そう言えばこの 「ことばが一人歩きする」 という現象,犬飼いの世界には多いような気がするんですよね.いや,反省も込めてですが...

No comments: