February 25, 2006

笑う人間



我が家の犬は現在4頭です.
夜9時を回った今,ストーブの前で3頭が惰眠をむさぼっています.
もう1頭の子犬は,庭で 「部屋に入れて〜」 とヒャンヒャン喚いています. トイレに出した時,遊びに夢中で呼んでも帰ってこなかったので放ったらかしにされているのです.

こんなとき,3頭の成犬たちは子犬のことをどう思っているのでしょう?


唐突ですが,動物の中で笑うことができるのは人間だけ...という説があります.
確かに,他人のおかしげな様子を見てケラケラと笑えるのは人間の専売特許かもしれません.
でも,この手の話には人間至上主義的な匂いがあって,これまではどうも肌に合いませんでした (実は "動物善良主義" も苦手ですが).

ところが,今は亡き中島らも氏が鋭くも看破したところによると,古今東西ありとあらゆる笑いの源泉は 「差別」 にあるんだそうです.
つまり,いろんな笑いを分析していくと,共通項として残るのは 「俺はそんなバカしない」 「ああ自分でなくて良かった」 などの一種の優越感であるとのこと.
なるほど,そう思って手持ちのジョーク集を見直してみたら,まさにそこは差別のオンパレードでした.
男性,女性,年寄り,子供,政治家,タレント,偉い人,偉くない人,普通じゃない人,普通すぎる人・・・およそありとあらゆる人が差別され,笑い飛ばされています.

 −動物の中で笑うことができるのは人間だけ−
 −あらゆる笑いの源泉は差別である−

この2つを素直〜に結びつけると,「人間は差別する」 ということになります. うんうんなるほど,これだったらしっくりきます.

差別というのが過激なら,「自分と他者とを比較する」 と言い換えても良いでしょう.
とにかく人間というのは,相手が他人だろうが動物だろうが,自分と比較してユーエツ感やらレットー感やらを感じてないと気がすまない動物なのです.
別にこれは悪い意味で言ってるのではなくて,例えばレットー感は頑張りの原動力になりますし,他人を気の毒がったり思いやったりすることだって,ユーエツ感の表現形の一つです.
だから,ときどき心が苦しくなったりもするんだと思いますが,でも本当に差別の無い世界ができたとしたら,人間は退屈で死んじまうんじゃないかな?

それで,犬の話.
犬が他犬と自分を比較しているか? ユーエツ感やレットー感を感じているか?? はたまた差別意識はあるのか??? 
本当のところはわかりませんが,多分,群として役割や順位はあったとしても,比較や差別は無いんじゃないでしょうか? 

例えば冒頭の場面,もし犬が 「かわいそうだから○×も入れてあげようよ」 なんて言い出したとしたら・・・,すごく嫌かも.(笑)
「今,あんたは相手を心配して見せて自分の優位を確認する一方で,自分はこんなに思いやりのある犬なんですよとアピールしてるでしょ」 と,人間である私はすぐに勘ぐってしまうからです.

もちろん,部屋のあちこちで行き倒れている犬たちはそんなムダなことはしません.
それぞれ,今の心地よい境遇を満喫するのに一生懸命です.
外の子犬にしても,ただ部屋に入りたいから鳴いているのであって,差別されてるという意識は無いでしょう.
だから,こちらも余計な気を使わずに済みます.

多分,私は動物たちのそういうところが好きなんだと思います.
(これもユーエツ感なのかもね)

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