フツーに考えると,他の生き物に対するリスペクトとは,まずその生き方に干渉しないことになると思うんですが,こと犬に関しては,生活圏が重なる上に一部の意思疎通まで可能なだけに,これがなかなかに難しい.私たちにできることとしては, 「姿や習性をあるがままに尊重する」 というあたりでしょうか.
ただ,今の犬に関しては, 「そもそも人間が改造してきたんだから, 「あるがまま」 なんて意味が無いのだ」 という声もあります.
確かにそうかもしれません.
でもちょっと見方を変えれば,彼らも自分たちの子孫を残すために,進んで人間に近づき,容姿や習性を変えてきたとも考えられます.肉食獣として比較的貧弱な武器しか持たなかった彼らにとって,これが生き残りをかけた懸命の戦略だったのかもしれません.もしそうだとすれば,人間と暮らすことが彼らの戦いであり,それを被害者として決めつけてしまうのは,実は不遜な態度という気がします.一見,人間に依存しているように見えても,立派に独立した生き物には違いありません.
犬は,ときとして哀しいまでに従順です.暴力をふるわれてもその飼い主を慕いますし,飼い主が望むとあらば,自身の身体を傷めても献身を厭わないでしょう.
これは人間という,頭が良くて情にもろい反面,気分屋でときに酷薄な生き物と暮らすために,彼らが身につけた武器なのかもしれません.愛と忠誠を一方的に証明し続けなければ,この気まぐれな生き物があっさりと背を向けてしまうということを,彼らは骨身(DNA)に染みて理解してきたのでしょう.
なんだかイビツで哀しい関係のように思えますが,それが,大きな力を持ちながら未熟な精神しか持てなかった人間の宿命という気がします.
だとすれば,その一員として自分はどんな面を下げて犬とつき合えばいいのか?
これが悩ましいところです.
で,あれこれ考えたんですが,結局のところ,自然体でつきあうしかないのかなぁという気がしています (なんや,それわぁ). 「人間様がご主人だ」 と力んでみせるのも滑稽ですし,逆に同情するというのも,(戦士に対して)ふさわしい態度とは思えません.
現在,人間が犬に対してしていること...その中には随分と過酷なこともあるでしょう.でも,それをとやかく言う 「理屈」 を私は持てません ( 「感情」 はあるけど).第一,自分だってその一人かもしれません.
ただ個人的には...個人的にはですよ,何をするにせよ 「犬のため」 とか 「犬が喜ぶから」 という言い方(言い訳?)はしたくないなぁと思っています.カッコつけて言うと,人間と犬との関係にある哀しみみたいなものを,いつもきちんと意識していたいと思っています.
そして他人はどうあれ,自分が一番良いと思える関係を自分の犬と築いていく...今のところこれが,私にとっての犬族へのリスペクトです.
February 25, 2006
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