− 遺伝は意志か? −
今,学説としてどう扱われてるかは知りませんが,R. ドーキンス 「利己的な遺伝子」 の基本概念は 「生きることの主体は遺伝子にあって,あらゆる生物個体はその一時的な乗り物に過ぎない」 「遺伝子の目的は時を超えて存在し続けること」 です.
この遺伝子を擬人化したイメージ(メタファ)は素人頭にもわかりやすい.
私なんか, 「生まれようと思って生まれた人はいないし,どんなに生きようと思ったって寿命が来るんだから,何で "主体的に生きる" なんてエラソーに言えるんだ?」 と以前から思ってたくらいですから,疑うどころか勢いよくうなずいてしまいます.
そう考えると今度は,例えばヒトの遺伝子は各個人に乗っかっているわけだけれど,それらを総体として捉えることもできる,あるいは捉える必要があるんじゃないかと思えてきます.
つまり,例えば各個人の容姿などはそれぞれの遺伝子によって決まりますが,ヒトという種の進化の方向を決めてきたのは遺伝子全体としての意志ではないかということです.
私は高校の頃に,生物の進化は突然変異と自然淘汰のおかげと習いましたけど,本当にそうなんでしょうか?
動植物の優れて合目的的な機能を知れば知るほど,それが突然変異の結果ですと言われても,なかなかポンと手を打つ気にはなれません.
環境への適応ではランダムな突然変異よりも確率高く "良い形質" が現れるんだそうですが,それにしたって,その変化が適応に有利だということを何がどうやって判断しているのでしょうか?
そこに意志の存在を勘ぐりたくなります.
それは神さまが・・・というのは,この歳までロクな信仰も無しに生きてきた自分としてはバチが当たりそうでとても言えませんが,その代わりと言っちゃあ何ですが,各生物に散らばった遺伝子が何らかの手段(例えば量子レベルの何ちゃら効果とか)で交信しあって,総体として何らかの意志を持ってるんじゃないかと想像すると楽しくなってきます.
(ちなみに私は進化論も創造論もよく知りません.それこそ根も葉もないヨタ話です)
つづく
February 25, 2006
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