February 25, 2006

育てるということ (2) − 人と父性 −

 こういう人たちのことを,オトナになり切れていないという意味でしょうか, AC(アダルトチルドレン)と総称することがあります.例えば,他国や他人の目をすごく気にするのは日本人共通の性癖でもありますが,言ってみれば日本人全体に,軽い AC 的な傾向があるのかもしれません.

   ただ,育てることが母性だけでカタがつくかというと,話はそう簡単でもありません.

 まっサラな赤ん坊が母性の中だけで成長すると,幼児的な万能感みたいなものから抜け出せなくなってしまいます.これは,世界が自分中心に回っているような感覚で,よーするに根っからの,それもガラスのように傷つきやすいワガママになってしまうわけです.生まれてきたばかりの赤ちゃんって, 「自分はみんなから愛されて当然」 みたいなゴーマンな顔つきしてますよね.あの感覚がいつまでも続いちゃうわけです.一時流行ったピーターパン症候群とやらも,この一症状かもしれません.
 これを防ぐには,誰かが 「この世にはルールっちゅうもんがあるんや」 みたいなことを,これも感覚として教えてやる必要があります.あるがままで受け入れるのが母性の役目なら,このワガママな怪物に限界を設定するのは父性の役割です (ちなみに,母性=母親,父性=父親という意味ではありません.その逆であってもいいし,他人でも一人二役でも良いわけです) .別の言いかたをすれば,母性にヌクヌクと包まれた子供を,適当な時点でそこから切り離してやるのが父性の役目です.そして,限界を設定することで子供に欲求不満を起こさせ,そのパワーをバネに親離れを促し,無事社会に放り出してやることが,育ての親の最後の努めということになります(思春期の子供に親父が煙たがられるというのは,まぁ正常ってわけです.哀しいことですが...).

 すなわち, 社会で生きていく能力を養うためには,母性と父性の両方が必要ということです.また,子育てという観点から見れば, 「母性愛」 「限界設定」 「親離れの促し」 が,(これさえできれば他の些細なことはどーでもええっちゅうくらい大切な)その3本柱ということになります.もちろん,生き物相手の話ですから,一から十まで判を押したようにはならないのですが,基本はそういうことです.

 ところで,ここの文章はあえてヒトゴトのように書いてますが,私も(そして私の母も),どちらかといえば AC 的性向が強い方だと感じています.もっとも,ただそれを悲観してるわけでもありません.まずはそういう自分を受け入れ,それをちゃんと認識した上で,乗り越えるなり利用するなりしていけば良いと思っています.かのクリントン前大統領の女クセの悪さも,出生の事情から来る AC 的性格の現われだと思われます.ただ,彼は自分自身を AC と認めて広言するという勇気ある行動に出ました.それが逆に,彼の社会的な成功のバネにもなっているのでしょう.

 ん〜,悪い癖でなかなかイヌの話に行きつけません.
 また,次回以降というわけで...

<続く>

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