− 進歩はヒトを幸せにするのか? −
ここで最初の問題に戻ります.
「○ンチを忌み嫌う」 という独特の感覚を,なぜ人間だけが持っているか?・・・です.
私は,○ンチが有機的なモノを,さらには "自然" そのものを代表しているのではないか,そして, 「○んち=有機的なもの=自然」 を嫌って離れようとする感覚が,ヒトという生物種の進化の方向を示していると思っています.
実際これまで,ヒトの文明は自然から離れることを是としてきました.
人工の建物で暮らし,身体的な限界を超えて移動し,地球外に飛び出し,生活環境を "清潔" にし・・・,これらすべては私たちが直観的に 「良いこと」 と感じ,汗水たらして実現してきたことです.
そしてまさにこの "自然離れ" 運動を進める原動力になってるのが,○んちをキタナイと感じ,その匂いをクサイと感じる感覚なのではないでしょうか.
ただ冷静に考えると,これが私たちそれぞれの生物個体にとっては,必ずしも 「良いこと」 ばかりではないことに気がつきます.
例えば,性能の良い移動手段を獲得した私たちですが,交通事故で命を落とす確率はどんな病気よりも高くなっています.例えば,恐らくは私たちが作り上げてきた "清潔な" 生活環境のせいで,多くのアレルギー疾患に悩まされるようになりました.例えば,ストレスの多い現代生活が心身を病む原因にもなっています.例えば・・・
確かに昔にくらべて生活は楽にも便利にもなったんですが,その一方で,私たち自身が引き起こした環境変化のスピードに,私たちの身体や心が追いつけずに悲鳴を上げているようにも見えます.
ドーキンス氏であれば,それは人間の頭脳が生み出した新しい自己複製子(ミーム=文化や知識の複製の基本単位)のせいであって,必ずしも遺伝子本来の目的ではないと言うかもしれません.
でも,私はこれら環境変化がミームの働きだとしても,やっぱりそれは遺伝子が志した方向ではないかと思っています.
そのわけは,次のページで述べたいと思います.
ところでこれから先,もし人間が環境変化のスピードが速すぎると反省したとして,私たちは "進歩" を止めたり逆戻りさせることはできるのでしょうか?
もし進歩の原動力が感覚だという見方が当たっているとすると,答えは否です.
理屈は思想は人間の意志の力でいくらでも変えられますが,感覚はそうはいかないからです.
感覚は私たちの脳と言うよりはもっと深いところ(恐らくは生きる主体であるところの遺伝子のレベル)から与えられたものだからです.
つづく
February 25, 2006
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