February 24, 2006

犬観 (2)

 それで,自分なりの犬観...というか,こんな関係になれたらいいな,ってやつですが...
 一番根っこにあるのは,やっぱり,犬は犬として人間と区別したい(というか,むしろ一緒にするのは相手に対して失礼という気持ち)ということですが,かといって,上下や主従関係で安易にくくってしまうのも好きではありません.人間と犬とはそれぞれが独立した種であり,それだけでお互いに相手を尊重すべき関係である...気持ちの上ではそうありたいと思っています.人間から見れば, 「犬は犬であり,犬であるが故に敬意を払う」 というところでしょうか.もちろん,彼らにも敬意を持って欲しいですし,人間と暮らすことを選択したんだから,その暮らし方を覚えてもらうことくらいは,受け入れてもらわなければなりませんが.
 これは,人と犬のどちらがボスになるべきか,という話ではありません.あくまで,気持ちの持ち方の問題です (もちろん,群としてボスは必要ですが,私にとってそれは上下ではなくて,むしろ役割分担だと思っています).犬観という意味では,日本風にも欧米風にも,ちょっと違和感を感じます.

 実は,こんなことを,子供の頃からボンヤリと考えていたような気がします.犬でも猫でも,毅然とした態度の子を見るのが好きでした.そんな彼らに相手してもらいたくて,いつも煮干を一握りポッケに忍ばせてたものです(これをうっかり洗濯機に入れると,無数の煮干片が洗濯物について,母親が怒り狂ったものでした).いじめられたり,邪険な扱いをされて卑屈になってる犬に出会うと,かわいそうというより,悔しく思ったことを覚えています.なんだか,大切にしていたプライドが傷つけられたようで.

 そんな偏った価値観の私ですが,最近になって知った牧羊犬の世界は,なかなか魅力的に映りました.
 もともと,羊飼いは大変な重労働で,犬をことさら可愛がる余裕なんてなかったでしょう.彼らにとって犬は犬です.一つ屋根の下で暮らすわけではありませんし,餌だって粗末なものだったでしょう.でも,彼らの生活を支える犬の能力に関しては一目もニ目も置いています.牧羊犬に関する出版物やビデオを見ていると,その能力に対して,深い尊敬の念を抱いていた様子が伺えます(もちろん,そうでない人だってたくさんいたでしょうし,一部には犬を単なる道具と見なす風潮もあったとは思いますが...).
 「能力を愛する」 というのは,いかにも欧米風の考え方かもしれません.ただ,少なくともそこに関しては,犬を下に見ることはなかったはずです.生きるためにお互いがお互いを利用する...というのは,もともと犬と人間が出会った関係であり,自然界でもそれほど異常ではないと思います(少なくとも,一方が他方を保護して可愛がる,というのよりは自然なはずです).

 犬と人間が向き合うと,どうしても人間から犬に指図することになり勝ちです.でも,彼らは同じ方向を向いて,一緒に仕事をしています.そういうことが理屈でも何でもなく,日々の暮らしの中で培われてきたのかと思うと,なぜかうれしくなってきます.犬が本当に幸せかどうかなんて,金輪際,私たちにはわかるはずないのですが,それでも彼ら(作業犬)は幸せだったんだろうな,って思ってしまいます.

 口を半開きにして眠りこけているやつらを見ていると, 「こんなやつが尊敬できるか!?」 という思いも頭をよぎります.でもまぁ自分もそんな偉いことをしてるわけでもないし,それに,動物として人間の方が優れてるところって,実はほんの数えるくらいしかないんじゃないだろーか,という気さえしてきます(比べても意味無いことですが).
 そもそも,犬という種が人間社会の中で暮らし,その上,どうやら自分たちに好意まで持ってくれている(らしい)...これだけでも,たいへんな奇跡だと私には思えます.人間族の一人としては,その奇跡に感謝して,犬と一緒の生活を楽しんでいきたいと思っています(←ちょっと神がかってきたゾ!).

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