June 14, 2012

時の守り神 (5)治療的効果

と、せっかくここまで考えをまとめてきたのに、以下の文章に出会ってあっさりとリセットされてしまった。少し長いが引用する。

-引用ー

自然が教えてくれるものとは何か。
命の尊さとか大地の恵みとか、定型的な言い方はいくらもあるが、自然から子供が学ぶ最大のものは私見によれば「時間」である。
自然の中では雲も、風も、木も、花も、虫も・・・みな時間の中で動いている。あるものは速く、あるものはゆっくりと。だが、停止しているものは一つもない。一輪の花も一匹の虫も、自然の中では絶えず動いている。ランダムに、だが、紛れもなくある種の「天上的秩序」にしたがって動いている。
(中略)
私たちが雲を観て飽きることがないのは、それが風に流れて、形を変えて、一瞬も同じものにとどまらないにもかかわらず、それが「今まで作っていた形」と「これから作る形」の間に律動があり、旋律があり、階調があり、秩序があることを感知するからである。雲を観る人間は、空間的現象としての動きを一種の「音楽」として、つまり時間的な表象形式の中に読んでいるのである。
海の波をみつめるのも、沈む夕日をみつめるのも、嵐に揺れる竹のしなりをみつめるのも、雪が降り積むのをみつめるのも、すべてはそこにある種の「音楽」を私たちが聴き取るからである。
その「音楽」は時間の中を生きる術を知っている人間にしか聞こえない。
自然に沈潜するというのは「そういうこと」である。
(中略)
自然の中の生活は、万物を「音楽」として聴くこと、「空間を時間的に表象する」ことへと私たちを絶えず誘うのである。
私が先に「場の力」と呼んだのはそのような誘惑のことである。
それは「今、ここにいる他ならぬこの私」の把持しうる領野を超えて、世界が未知へと拡がっていることを、そして、私自身がこの未知性の拡がりによって賦活されていることを思い出させてくれる。

-引用終わり-(内田樹「態度が悪くてすみません」より)

うんうんと頷きながら読んできて、最後の1文でのけぞってしまった。
なるほど!
考えてみれば、大のオトナが元気になろうってんだから、ただ束縛から逃れるだけじゃなく、そんな積極的な作用が必要かもしれない。

それにしても、「未知性の拡がりに賦活されている」って、言い得て妙だと思いませんか。

自然というのは、宇宙的視野では閉じた生態系かもしれないが、そこに暮らす者にとっては十二分に広大かつ複雑であって、あらゆる可能性を秘めた開放系である。
そこで展開されている壮大な運動に、紛れもなく自分も参加しているということが感知できれば、少なくとも、自分の暮らす世俗社会を客観視し相対化したことになる。
これは、古来から宗教や心理療法が目指してきた、治療的技法の一つでもある。
自然の天上的秩序を「美しい」と感じ、それによって癒されたり元気になるというのも、十分頷けるのである。


つづく
 

No comments: