June 14, 2012

時の守り神 (3)時間に追われる

友人の言った「時間を忘れる」というのは、夢中になることの修辞的な表現だが、もしかしたら彼は文字通り「時間」を忘れたんじゃないか、と考えている。
ただし、そんじゃそこらの時間ではなく、私たちが現代生活の中で否応なく意識させられているところの「時間」という意味で。

本来、時間というのはどうすることもできないものだが、私たちの意識の中では少し違う。
私たちは往々にして、時間を実体のあるモノのように、もっと言えば消費の対象のように捉えている。(その理由を遡れば、たぶん時間を数字で表象したことに、さらには時間を時間と名付けたことにまで行き着く)
だから、私たちは「時間」を使ったり節約したり稼いだり割いたり、あるいはムダにしたり捨てたりできるのであり、つまりは努力と心がけ次第でコントロールできるものと錯覚している。
そして現代の飽くなき効率化圧力の下で、時間と競い、格闘し、挙句の果てに「追われる」羽目に陥ったりする。

友人が水槽に見入って忘れたのは、この種の「時間」感覚のことだと思う。


つづく
 

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