June 7, 2011

アジールとしてのファーム(2) -壁と卵-

作家の村上春樹氏は、エルサレムで行われた文学賞の授賞式で、「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵の側に立つ」という、印象的なスピーチをした。
生き難さを考えるとき、この文学者的直感から生まれた暗喩は示唆に富んでいる。
「卵」とは人間のことだ。では、人間がぶつかって壊れる「壁」とは何だろう?
村上氏自身の説明によると、それは人が作り出す「システム」である。

(引用)
 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。

そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

(引用終わり)

「システムが自己増殖し、人間を組織的に殺し始める」なんていうと、何やらターミネーターやマトリックスの世界を思い浮かべるが、ここではもっと身近で、かつ原理的なことを指しているのだろう。個人的には、この「システム」は「人が考え出したありとあらゆる物や制度」だと捉えたい(内田樹氏はもっとラディカルに「システム=言葉」と読み解いた。さすが!)。
正しかろうが間違いだろうが、善意だろうが悪意だろうが、およそ人が人のために考え出した物や規則は、それがシステム化された途端に、壁を構成するブロックとなる。やがてその壁は「自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始める」のである。

例えば「犬をリードで繋ぐ」ことは、もともと、人と犬が共生するための心配りだが、一旦それが常識や良識やマナーとして登録されると、人の行動を制約するシステム=壁となる。それが良いか悪いか、あるいは正しいか間違いかを議論することはできるが、壁自体を無くすことはできない。
システムを構築するために力を尽くし、できたシステムは行使せずにはおられないのが、人間という生き物だからである。

人が生きるところに社会が存在し、社会ある限り壁が存在する。
しかも現代社会において壁は、ますます堅固に、精緻になりつつある。(それが「進歩」と見なされているから)

そしてほとんど全ての自殺者には、多かれ少なかれ、この壁の重圧に絶望した瞬間があると思うのだ。
 
つづく
 
 

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