May 4, 2007

バランス(4) 時間と感情と脳と身体と光と闇の話

私たちの生活を見渡すと,今,身体に対する脳優位のバランスが微妙なところにまで来ていると思う.

例ばかりで申し訳ないけれど,例えばここに喉の渇いた子供がいるとする.
彼はポケットから小銭を出して近くの自販機に入れ,ボタンを押してチャリンガラガラとジュース入りのペットボトルをゲットするだろう.
これってもうバランス悪いですよね?
本来喉を潤すためには,人に頼んで分けてもらうとか自ら川に出向くとか水を貯めておくとか,それなりの努力が必要なはず.まして,「甘く冷たい」水を飲むためには,どれほどの工夫と労力がいることか.
自分だってそんな努力はご免蒙りたいけれど,それが本来のバランスだと思う.

もちろん子供が使った小銭は,彼の親が汗水流して得たものであり,自販機とジュースは何百何千という人が関わって用意したものであって,本当は驚くほどの労力がかかっているのだが,当人はそんなこと知ったこっちゃない.
人間社会では欲望を満たす場面と,そのために努力が払われる場面が時間的,空間的に隔てられていて,その関係が見えなくなっている.
そのおかげで私たちは,飢餓や寒さに怯えることもなく,生活を愉しむことができるという大きな大きなメリットを享受しているわけで,それに文句をつける筋合いも資格も無いのだが,それでもやっぱりバランスは変だよね?って思ってしまう.

生産と消費の場を分かつことができたのは,時間モデル思考の賜物だろう.
「今,ここで作ったものがいづれ誰かの欲求を満たす」「将来きっと必要になるから,今のうちに作っておこう」「そういえば,あの時こんなものがあれば便利だったろうな」・・・とか.
それは私たちに物質的な豊かさをもたらしたが,脳が時間モデルで考えた欲望である以上,自然な抑制は働かない.
それは良いとか悪いとかの問題じゃない.
そんな単純なものじゃないだろうし,少なくとも自然のバランスを崩すことによって人間は死を遠ざけ,便利を手に入れてきたのである.
進歩を否定するつもりは毛頭無いし,懐古趣味に浸りたいわけでもない.
ただ,どこぞのブログで見つけた言い回しを借りれば,要は「光の輝きが増せば増すほど闇もまたその深さを増す」ということなのだろう.

人間は自然のバランスを放棄する道を選んだ.
そうである以上,光と闇のバランスを自らの手で創り出していく必要がある.

つづく
 

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