May 2, 2007

バランス(2) 時間と感情の話

それが妥当かどうかは置いといて,私たち人間は過去から未来につながる一本の道のように時間をイメージしていて,思考や感覚の隅々にまでそれが浸透している.
だから逆に,無時間モデルの心理を想像することは難しい.
以前このエッセイの中で,ぐれぐの独白という形でそんな心理を文章にしてみようとしたが,完全に失敗してしまった.
時間的な表現を使わないと,まったくと言っていいほど文章が書けないのだ.
時間とコトバ(=人間の考え方や感覚)が切り離せないものだということだけは,身に染みてわかった.

だからこれも想像でしかないのだけれど,犬には「死」という概念が無いのではなかろうか.
もちろん犬だって,生あるものとそうでないものは区別する.
しかし,死というものが生きている状態からから死んだ状態への変化そのものを指すとすれば,それは時間モデルでないと理解しづらいからだ.

主が他界したときにその飼い犬が身も世も無く悲嘆にくれるという図は,人間が願望込みで創作した(忠犬ハチ公のような)物語だろう.
人は自身の感情を犬に投影し,生前のなつき振りから推して主を亡くした犬の悲しみは如何ほどのものかと想像を膨らませるが,大抵の場合,犬は思ったより平気なのだ.
それを物足りなく思う人は,わざわざ遺体の傍に連れてきて「ほらお前の主人だよ,もう遊べないんだよ!」などと,愁嘆場を演出しようとする.

愛しい対象を亡くしたときに私たちの悲しみが悲痛なのは,共に過ごした過去を追想し,もう二度と会えないという未来の絶望に心が捉われるからだ.
しかし犬は,目の前の遺体が「死んだもの」であることは十分理解しながらも,過去や未来に思いを馳せてまで悲嘆することはしない(と思う).
もし犬が,自らが嘆き悲しむことで残された人間が少しでも救われることを知っていたら,彼らは喜んでそうするだろうけれど.

つづく
 

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