May 5, 2008

コトバで考える葦(2)

一体どっちが正解なのだろう...などとすぐに白黒つけたくなるのもいかにもコトバ的だ.

コトバは事象の単純化や抽象化,カタログ化(名付けて分類して一丁上がり)を指向するものだが,それでとりあえず「わかった気に」させてくれるところが偉い.しかし少なくとも生き物は,限られたコトバですっきり説明できるほど単純なものじゃない(はず).

新たな理説を主張するために,まず既存の説を否定してかかるというのはコトバ的思考のお作法である.「従来の説は間違いだ」って言わないと迫力出ないからね.「従来の説も少しは合ってるけど,この説だって半分くらいは正しいと思うよ...」などとウダウダ言ってると聞いてる人は寝てしまう.
「犬は人をアルファと見なしている」というのは確かに乱暴かもしれないが,だからって「それは間違い」と言い切るのだって同じくらい乱暴な行為だと思う.

そもそも,群とかアルファとかメンバーとかは人間が勝手に定義したのだから,それとドンピシャの概念が犬の頭ン中にある方が不思議である.
群のメンバーとそうでない者を明確に区別するためには,群のメンバーに「群のメンバー」というレッテルを貼らないといけないが,きっと犬はそんなことしない.その場その場で自分の感覚に従ってそれなりの態度をとるのだ(と思う).
犬は家族を群と思っているのか,リーダーをアルファと見なしているのか,メンバーに序列をつけてその中で自分を位置づけているのか? おそらく,どれも少しずつ正解であり,少しずつ不正解なのだ.

コトバを否定したいわけではない.「コトバに頼らず自分の感覚を大事にしよう」などと安直に言いたいのでもない(そんなことを前に書いた気がするけど).むしろその逆で,犬を少しでも理解しようとするなら様々な理説=コトバに触れるしかないと思っている.私たち人間には,周りをコトバで埋め尽くす以外に事の本質に迫る手立てが無いのだから.

それでも,コトバは決して万能ではないこと,そして私たちはコトバの枠組みの中でしか考えられないことは,自覚しておいた方が良いと思う.
そしたら何か変わるのかって?
いあ,別に...
でも自覚からは「節度」が生まれるし,それこそがヒトの貴重な資源だと思うのである.


つづく
 

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