August 18, 2006

犬にまつわるコミュニケーションの話 (1)

何だか同じような話ばかりで申し訳ないですが,と恐縮して見せつつ,なに,最初にこう断っとけば大抵のことは許されるのさと世間様をなめきった態度で,犬と人のコミュニケーションについて思ったことを書きます.

普通,私たちは話し言葉を使って犬をしつけたり,仕事を指示したり,芸を教えたりします.
そして上手下手,紆余曲折,七転八倒はあるにしても,いずれ犬はその言葉に応えるようになります.
それを私たちは 「犬に○×を教えた」 とは言うけれども,なかなか 「犬が自分の言葉を理解した」 とは表現しない.
これってちょっと片手落ちですよね?と思ったりするわけです.

人の話し言葉(以下,"コトバ" と表記)が,身振りなど他のコミュニケーション手段と決定的に異なるのは,それが記号でしかないという点です.
例えば,「犬」を説明するための身振り手振りであれば,どこかで犬の容姿や性質を表していますから,やがてその意味を連想することができるでしょう.
しかし, 「い」 「ぬ」 という音の連なりと,犬という動物の間には何ら必然的な関連はありません.
あるのは 「その一連の音が四本足で歩く人懐っこい動物を指す」 という人工的なルールだけです.
このルールを知らない限り,いくら想像力を働かせても両者の関係に辿りつくことはできない.

犬はコトバを知りません.
これは,私たちが 「へへ,外国語は苦手で...」 と照れるのとは,まったくレベルの違う話です.
私たちが未知の外国語を聞いたとき,たとえその単語や文の内容はチンプンカンプンでも,とにかくそこに 「あるルールに則った単語や文がある」 ことは知っています.
ところが犬は,「記号を使ったルールベースのコミュニケーション」 という概念そのものを持たないのです.(たぶん)
この差は大きい.

それでも犬は,コトバから飼い主の意図を理解しようと努める.
そして彼らは彼らなりの解釈で,一定の響きを持つ一連の音声と,飼い主が自分に望んでいる行動とを結びつけ,それを実践してみせます.
その圧倒的に不利な条件を勘案すれば,これを 「コトバを理解した」 と表現することくらいは許されてもいーんじゃね?と,個人的には思うのです.

人が人に 「犬に○×を教えた」 と言うとき,そこには 「教えるのには結構な技術と忍耐と努力がいったんだかんな」 という微かな自負が漂いますが,犬にだって同じくらい,いや多分それ以上の苦労があったはずなのです.


-(2)に続く-
 

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